きっと会えるさ

2022年02月05日

亡くしていたと思っていた宝石が

見つかった日、わたしは思い起こしていた、

いままで、さまざまなひとたちに貰ってこなかっただろうか、わたしは、

宝石のようにきらめく、

かけがえのない言葉のかずかずを。

しっかりと形をともなって思い出せる言葉もあれば、

いっとき勇気づけてくれて後に残らないで埋もれてしまう言葉もある。

どうして、他人にはそんなに必死なのに、

自分のことには無頓着なんだね、といったのはあのひと。

それに対してわたしはこたえたっけ、

みんながわたしに気を配って良くしてくださるから、

わたしは自分のことに無頓着でいられます、

まわりのみんなのことをもっぱら気にかけていることができます、と。

あのひとはいった、

いつも気にかけてあげられるとは限らないから、

もう少し自分で自分の面倒もみるように、と、自分をもう少し大切にしなさい、と。

わたしは守られてばかりで、

大切なものたちをこの手で守ることができない。

それに、しばしば欲としがらみにとらわれて大切なことを見過ごす。

お参りした後で、神社に咲いていた紅梅と向き合って対話する、

みなぎる生命力たたえて燃えたつように咲いている鮮やかな色のうつくしさ。

まだ若くてしなやかな枝をした木、

貴方にどんな言葉をかけてあげようか、まず真っ先に、

いまここで貴方に出会えたことが嬉しい。

古来、大陸よりわたってきて

いにしえよりずっと長きにわたって愛された花よ、

地味ではあるが春に先駆けて咲く、寒さに負けぬつよさを持つ花、

貴方をこの神社のかたすみに植えてくれたひとに限りなく感謝するとともに

ここまで貴方をはぐくんでくれた、そして、

これからも貴方をはぐくんでくれる大地に、風に、太陽に感謝する。

ほかの木に邪魔だからと

切られそうになったこともあるかもしれない、

けれど、貴方は生き残ってきた、

わたしはそのうつくしさに感動するとともに感じてやまない、いま貴方がここにいる奇跡。

祈りはしばしばわがままで、

つい欲やしがらみに捕らえられそうになる。

でも、今度は祈ろう、

貴方と出会えてほんとうに良かった、と、いつわりのない気持ちをこめて。

やがて紅梅の木を離れ、神社を離れあるきだす、

じゃあまたね、ねえ、また今度会えるかな、とこころのなかでいうと、背後の紅梅の木はいった、

きっと会えるさ、と。