お茶会
だいぶ過ごしやすくなり
夕方には妙なる虫の声がきかれる、
庭のキンミズヒキは
今年とりわけ
たくさん花をつけている。
衣服にまといつくあの厄介者の実を、
さぞかし数多くつけることだろう。
表の庭だけでなく、裏の庭にまで今年は咲いている。
あんまりたくさんの花を咲かせているから、
一本だけ摘みとって
お気に入りの、桶のかたちをした樺細工の花瓶に生ける、
それだけだと寂しいので、
玄関先に生えていた草を一房あしらう。
まるで茶花みたいになったな、とつぶやき、
そうだ、お茶会をしよう、というと母もお抹茶が飲みたいという。
じつはお茶はほとんど習ったことがなく、自己流で恥ずかしいかぎりだが、
わたしは思う、
もう少し気軽にお抹茶をたしなんでもいいのではないかと。
ほんとうはお濃茶に上生菓子、
それは聞いて知っているのだけれども、
わたしは思う、
もう少し気軽に見目麗しい季節のお茶菓子を楽しんでもいいのではないかと。
そこでわたしは上生菓子を
ひさびさに駅前まで行って買いもとめてきた、
台所で、ふたつのお茶碗を出してテーブルの上に置く、
ひとつは朝霧の柄の、母の茶碗だ。
ひとつはスズメに稲穂、わたしの茶碗だ。
ガラスの水差しにお湯を移してさましながら、ほかの準備を。
竹の節目がある茶杓と、
お気に入りの茶筅と、
湿気ないため缶にいれっぱなしにしてあるお抹茶の粉と、むらさきの桔梗をかたどった和菓子、
菓子皿に添える塗り物の楊枝は母の旅行みやげだ。
お茶を点て、
森の描かれたほうを向けて茶碗を母にさしだす。
わたしのぶんのお抹茶も点てる。
母が器をほめるのをききながら桔梗の全き形を楊枝で切り分ける。
いつもと味がちがう。
いままでの味も柔和ですばらしかったけれど、
こんどの新しい味もはっきりしていて、なかなか良い。
わたしは母に、
あのひっつき虫の実が今年もなるね、といい、
こんどご近所さんに配ろうか、なんて話をする。あ、でも、じかにあげると
お礼を気にしてしまうかもしれないから、
あの坂の上の駐車場わきのスペースをお借りして、
自由にもっていってもらうようにしてはどうだろう、などと母に提案してみる。
ああ、幸せも花の種のように配ることができたらいいのに。