かすかな出会い

2022年05月04日

確かなことなんて何もない。

明日もまた日が昇るとか、

そういうことはごく当然のように思われているけれど、

電気や水道が通っていることも、

読みたい本を読んだり

聴きたい音楽を聴けるということも、

スーパーで食べ物やひつようなものを買うことができるということも、

地域によっては

ぜんぜん普通のことなんかじゃないし、

昨日もそうだったから明日もそうだろうと人は期待するけれど、

ある日戦争が起こってしまえば、

そのような幼い期待は、

幼くそして幸福な穏やかさに満ちた期待は

粉々に砕けてしまうだろう。

人はもろいものだ、

暮らしのなかに当たり前なんて

ほんとうはひとつも存在しないのだ。

それでも人は確かなものを求めて止まない、金だとか神だとか、権力だとか、

そういったものにしがみつこうとする者がいかに多いことか。

わたしにはその中で何を選ぶべきなのかはわからない、

ただ言えることは、

過去と未来がもし不確かに思えるならば、

現在そこにあるものにしがみつくことができるということだ。

目の前にあるもの、

じぶんのこれまで選びとってきたものを

大切にすればいいということだ。

庭に出てカメのところに食事をもっていく。

まだ気温もそんなに高くなく、そんなに食欲がないので、

消化の良いホタテをあげる。

そんな春のおとずれたばかりの頃のことだった、

カメの小屋のとびらを開けようとしたとき、

何が虫のようなものが飛んできて腕のところに止まったようだった。

よく見るとそれは蜂のように危険なものではなく、

可愛らしい丸っこい

黒地に二つの赤い星をのせた一匹のテントウムシだった。

テントウムシはしばらく動かず、じっとそのまま心地良さそうにしていた。

わたしも追い払う気がなかったので、

そのまま止まらせておいたが、やがて飛び去った。

つかのま、わたしとそのテントウムシとは同じ空気を分け合った。

その出会い、

現実という確かな感触が、いつまでも心地良い後味をわたしの中にのこしていた。

そういった出会いにしがみつきたい、

確かなものは、

きっとそういった生き物の温もりの中にかろうじて

見いだされるものなのだろう。

テントウムシの愛らしさ、かすかな出会い。