この目に映るもの

2023年04月25日

春の日、けれど、こころも空もどんよりとしていたその日、

たずねてきたひとがあった。

わたしたちが留守のあいだに来てそっと茶花を置いていったひとがあった。

わたしたちにはちゃんと誰だかわかる。

花を上手に育てることで知られた大工さんの奥さんだ。

地味な花だった、

穂先にぽつりぽつりと白いものが飾られていてどうやらそれが花だというらしい。

二人静、という名前が書き添えられていた。

ほんとうにひそやかな花だ。

けれど、めっぽう雅だ。

乾物をこのあいだ差し上げたからそのお礼かもしれない。

まず二階の水盤に生けよう。

ヒマラヤスギの枝を庭からとってきて、それを主にするべく

あちこちを

整えたりしてみるが、なかなか決まらない。

葉を取り除いているうちに

じつに寂しくなってしまったので、これはいけないと、

ハサミを持って

階下におりサンダルつっかけて庭に出て

もう一本

張り出して邪魔になりそうだった枝を選んで切りおろしてきた。

こちらの枝を主にしよう、と、

すでに生けてあった枝を思いきって短くすると、

なんとヒマラヤスギでなく二人静が主になってじつに格好がサマになった。

それだけで完成してしまったので

余った枝を

一階にもっていって残り二本の二人静といっしょに花瓶に挿す。

母が、いいわね、といい、

わたしは寝ころがって音楽を聴いていたが、

机に向かうと

ペンを紙にはしらせて二人静の佇まいを紙のうえに描いた。

いちど失敗したが気をとりなおして描き直した。

そうしてまた、二階の窓辺に立つほっそりした姿を飽きもせず眺めやる。

ほんとうに地味で目立たないが、

品のいい造形が高貴な生まれをうかがわせる。

ぽつぽつと小さく点在するしろい花はかすれかけた足跡のよう、

葉はよく見ると先のほうにぎざぎざがあってそのランダムさが何ともうつくしい。

こんな貴重なものをくださるなんて。

見えているのは、このうつくしい造形なのだけれど

きっと花が咲くまでには、

ひとの手で育てられ、じぶんの力で芽を出しそして成長した過程があり、

こうしてすっくと成長するまでには、

さまざまな工夫と苦労と根気づよさがあったはずだ。

この目にうつる部分は

ほんの一部分でしかない。

わたしはその花のいちばん良いところを味わっているわけだけれど、

その目にうつる美が内包するすべてではない。

根から栄養と水を吸収し、そうして

葉を茂らせていった労苦に思いを馳せることをやめてしまいたくない、とつよく願う。