さざんか

2023年12月14日

出かけようと玄関をあけると

このごろご無沙汰だった野良猫のクロちゃんが。

枯れ葉をおふとんに

つる植物の間で

のんびりと日向ぼっこ。

足元に来たりしないところを見ると

そんなにお腹がすいていないのかもしれない。

ちょうどカメラを持っていた。

クロちゃんが石畳のうえにすわったところを撮る。

すると、この日はじめて

クロちゃんはつぶらな瞳を見せてくれた。

いつも目を細めがちだったのは

もしかして、具合が悪かったからだろうか。

キャットフードとミルクをあげると食べ始めた。

そのあいだわたしは

カメノちゃんの水を替える。

暖冬だから、冬眠の支度をするタイミングが難しい。

ちょっとだけ汚れていたので

古い水をひしゃくでかきだして、新しい水をホースで入れる。

そのあいだにクロちゃんはどこかにいってしまったらしい、

ご飯を少し残している。

そのままにしておけばそのうちまた食べるだろう。

わたしは行ってくるよと小屋のカメノちゃんに声をかけ

出かける前に

ふくらんでいた蕾はひらいただろうかと茂みの間の小道を辿っていく。

さざんかは三つほど花をつけていた。

まだあとつぼみが一つある。

母がクワの木をへんな場所に植えかえたらしくて、

さざんかを眺めるのにちょうど邪魔をしている。

夏みかんの収穫をたのむときにでも

植木屋さんに言って取り除いてもらおう。

木と、木漏れ日のあいだに立ち

足のしたに地面を感じる。

こずえの葉のゆらぎと地面にゆらぎながら届くひかり。

それは心地良く、いつまでもその場所に身を置きたいような気分にさせる。

もう少しで出かけるのを忘れるところだった。

わたしは扉をくぐる、

晴れた空のした

住宅街をあるいていく。

そして、駅からバスに乗ってしばらくすると

子どもが乗っていないはずなのに

賑やかなあどけない声がした。

シルバーシートのお爺さんが動画を見ていたようだった。

きっと孫の動画なのだろう、

孫は可愛いというから、きっと、愛情をそそいでいるのだろうな。

ひとむかし前のわたしだったらあるいは

面白くない気持ちになったかも。

でも、いまは違う。

わたしにも、ずいぶん沢山、まるでじぶんの孫のように思える存在がある。

カメノちゃんに、クロちゃんに、それから、こころとこころで触れ合える大切なお友だち。

それらをわたしが大切に思うのと同じように、このひとにも、そういう存在があるということ。

いまわたしはじぶんの身に置き換えるという喩えを用いて

このひとを理解しようとしたけれど

果たしてそういった喩えなしに他者を理解することは可能なんだろうか。

いつのまにかお爺さんの動画は止んでいた。

そのお爺さんも降り、乗客がまばらになっていって終点で降りる。

さあ、お見舞いに行こう、

と、その前に傍のお食事処でお昼を食べなくては。