シトラスの夢

2022年02月08日

このこころの重さをふり払うため

試してみたさまざまなこと。

まだ、外は暗いから朝刊は後でいい、

台所でハーブティの材料を戸棚から取り出す、

そして、オリジナルのお茶をブレンドする。

オリジナルといってもごく単純なもの、

レモングラスとレモンバームをほぼ同量、それからオリスルートを少量。

その三種類だけを透明ないただきもののポットに入れて

熱い湯をそそぐ。

ポットは形はいいがカップに注ぐときやや不便だ、

が、クリーム色のカップにおだやかな色のこころ落ち着かすお茶、

さわやかな香りにややリラックスし、

ふいに出かけてみようかという気分になる。

外はまだ暗いが、

でも裏を返せば人に会いたくない状態のいまこのとき、

人目を避けられて好都合なのではないか。

わたしは着替えて支度する。

荷物は必要ないかもと思ったが、最小限の持ち物だけメッセンジャーバッグに入れる。

赤の小ぶりなメッセンジャーバッグだけが、落ち着いた色調のなかで人目を引く。

犬の散歩をしている人がいた、車もちらほら行き過ぎる、

住宅街を抜けると神社にはあたたかな明かりが参道に灯っている、

お辞儀をして引き返した。

誰ともすれ違わない、真っ暗ななかを歩いていて気分は沈みがちになる、

空気も街灯もつめたい、そうして家に帰り着いたときには、

なぜ出かけてしまったんだろうと自分を罵った。

人に会わずに済んで満足のはずではなかっただろうか。

わたしは浴槽に湯を張る、そして、湯が溜まるまでのあいだに、服を脱ぎ、シャワーを浴び、体を洗い、

来たるべき悦楽の時に備える。

湯が溜まった、

お気に入りのバスオイルを八滴ほど多めに、なみなみと張った湯にまき散らす。

シトラスの良い香りが湯のなかから浮かび上がってくる、

それはいっときわたしを夢へといざなう。

夢のなかで、わたしは草地にいて、はだして土を踏みしめている。

わたしはあちらに聳える塔から逃れてきたばかりだ、

愛しいひとに会うために。

あのひとはどこ? わたしは森を駈けてゆく、

ぜいぜいと息を切らしてはかがみこみ、

それでもあのひとのもとへ続く道をひたすら辿ってゆく、

少しでも近くに、少しでもそのこころに触れられるように、つたない歩みでもって。

いつか辿り着いたときあのひとは、熱くわたしを抱きしめるだろう、

抱かれてわたしは安心しきって泣くだろう。

ちょうど、このシトラスレイヴという名のバスオイルが芳香でもってわたしを抱くように。

この体を湯が心地良い温度にあたためている、浴室をいつしか、

やわらかな光がつつみこんでいる。