ユスラウメ
雪割草を撮りにいこう、
ちょうどいま咲いているはずだ。
デスクで受話器をとり
百花園に電話すると
ちょうどいま咲いていますよ、との返事が。
明日だ。
行くなら明日しかない。
そうして、庭園にやってきたわたしは、
入場料を払いながら訊ねる、
雪割草はどのあたりに咲いているでしょうか、と。
するとスタッフの方が
先に立ってすすみ案内してくれた。
連れられて歩いていく、
池のほとり、
レンギョウの茂み、
早足なのでついていくのが大変だったが、
いい運動になったに違いない。
とうとう辿りついた、
お礼をいうとスタッフさんは去っていって、わたしは眺める、
あまり咲いていないなあ。
ちょっとがっかりしたけれど、それでも写真を撮り、
園内を見わたすと確かにそこに春は訪れていて、
ボケやレンギョウなど、あちこちの木にたくさん花が咲いていた。
ベンチにすわってぼんやりしているひとがいたので、
桜が咲いていますよとおしえてあげると、
ほんとうに桜ですか、といい、
いっしょに花の名を書かれた札を見ると
果たしてその木は桜などではなくて
春たけなわの頃に美味しい赤い実をつけるユスラウメだとわかった。
清楚な花をつけるその木は
むかし、わたしの小さい頃に我が家の庭にあったものだ。
祖母がユスラウメだよといって
赤い実をとってくれて食べさせてくれた。
弾力があって
みずみずしく甘酸っぱかったようなおぼろげな記憶。
うちの庭をもともとつくったのはわたしの祖父、
生まれたときにはもう他界していたので顔を合わせたことはないが、
わたしはそのひとの話を家族からきくのが大好きだった。
やっぱり庭木が好きなひとで、
剪定などもじぶんでするし家を設計したのも祖父だということだった。
いまは建てかえられてしまっているので、むかしの家もユスラウメの木もない。
でも、わたしもどういうわけか
小さい頃から常軌を逸して花や植物が好きで
応接間に飾られた花なんかをただじっと眺めていたりするだけで
いつまでも飽きなかった。
それから、大人になって花の写真を撮るようになった。
百花園の青空に映えるユスラウメ。
いまその儚げなすがたを写していると何故だか
わたしと祖父とが確かにつながっているのだという気がして嬉しかった。
庭をつくった祖父、
そのひともさぞかし植物を愛したに違いない。
写真はじゅうぶんに撮った。
さあ、帰ろう。
出口のところで雪割草の鉢植えがわたしをお見送りしてくれた。