再生

2022年02月18日

きょう、どこへも行く気がしないのは、

空のせいだ。

曇っているとか雨が降っているとかいうわけではない。

それどころか青空だ、雲ひとつない。

青すぎてうつくしくないからだ、陰影のないのっぺりした空が。

わたしは温室にこもって陰のある歌をうたう、

紅のシクラメンに向かって。

辛抱づよい花もかなしい歌をきかされて少しご機嫌ななめなようだ。

待ってて、いま、水をあげるから、このじょうろで。

汲みっ放しの水を投げやりに庭木を摘み取ってきて生けた水盤にそそぐと

みにくい泡が立った。

それから、新しい水を洗面台へいって汲んで

いちばん高いところに置いた紅のシクラメンに真っ先にあげる。

葉のつけ根のまわりにぐるりと水をそそぐ、こんどは鉢を回転させて向こう側に。

時計回りに、たぐり寄せると、

新しい小さな葉がこのあいだ摘み取った跡に出ていることに気づく。

それは、このあいだシェリーグラスに花を一輪生けたときに三枚の大きな葉を摘み取った跡だった。

いっときわたしの目を楽しませてくれた一輪挿しであるが

シェリー酒を買ったので

それを注いで飲むためにゴミ箱に捨てた。

しかし、ねばり気も味わいもないシェリー酒はほんとうにひどい味がして、

そのシェリー酒もとくとくとシンクに流して捨ててしまった。

何にもならなかった。

お酒は気をまぎらわすのにいいけれど、どんな酒でもいいというわけではない。

友人も同じだ、話したり眼差しを交わしあったりする友人は欲しいが

それはけっして誰でもいいというわけではない。

お酒もなく、友人もほとんどなく、あるのは鉢植えと頭のなかに流れるかなしみの旋律。

でも、こうして新しい葉が摘み取った跡に出てくるように

失われた絆もまた芽生えるのだろうか。