完璧な空

2022年07月05日

存在そのものを消したいわけじゃないけれど

目の前から消えてなくなってしまえばいいとおもう相手、

それが彼女にとっての

わたしだった。

もて余されていた頃のことがよみがえる、今はっきりとわかる、

わたしがどこへ行っても放逐されたわけが。

生まれないほうがよかったと

心から願い、

唯一の居場所である

花の飾られたガラス張りのサンルームへ行く。

片付けは苦手なわたしだが、ここだけは余分な物を置かないようにしている。

そのとき西の空を見た、

流れる雲とあかね色の溶けあう美しい空を。

カメラを持ってベランダに出ようか、

いや、出かけて町のシルエットと共に写したほうが良い写真になる。

お気に入りの服に着替えると

カメラを持ち、ウォーキングシューズをはいて出かけた。

どっちへ行こうか、

そうだ、西を向いていこう、暮れゆく空が撮れるから、わたしは駅のほうを目指すことにした。

道々、露出をアンダーにして空を切りとる。

このあたりには松が多く、

一軒家の多い街並みとともに黒くシルエットを刻むと良いアクセントだ。

坂をあがっていって、電線がじゃまだと思いつつ、

じゃまなものでもいったん受け入れてみると、存外いい写真になることがある、

という写真雑誌に載っていたアドバイスを思い出してみる。

まだ空には炎がある。

もう少し行ってみよう、坂をおりて静かな道を行くと駅前のロータリーのひらけた空間に出る。

一気に視界がひらけるが、どうしても建造物が空にかかってしまう。

そのとき雲にかすみがちな儚げな三日月に気づいた。

三日月をファインダーにおさめようと

焼けた空の中心からややずらして、ごくすみっこに三日月を配すると

さえぎるもののない

広がりゆく自由で何者にも縛られない空が撮れた。

ひきこもり生活でよっぽど

体がなまっていたのだろうか、帰りはくたくたになってしまった。

そして思った。

どこへ行っても厄介者にされたヨタカが

じぶんを受け入れてくれる場所を

さいごに空の彼方に見つけたことなんかを思い出した。

限りある他者との出会いではけっして見つけることができなかった場所だった。