小さな奇跡

2022年01月17日

今日は、何もいいことがないって思ってた、

いつもと同じ朝、

でも、ちょっとだけ早く起きてカーテンを開けると、

地上と空の境目が冬の澄んだ空気で、

かすかに、でも正確に

朱のグラデーションを描いてた。

新聞をぱらぱら台所でめくっていると、

腕時計の広告が目に入り、

そういえば今日は出かける予定があったんだ、と気づき、

窓際に並べてある四つのなかから一つ、

特別なときにするフェミニンな腕時計を選び出し、それをつける。

出かけるにはまだ早いが、

玄関を出て、

庭を横切りカメの冬眠している小屋へ向かう。

カメに話しかけるのが日課のようなもの、

わたしの愛情を一身に受けたカメは、いま水苔のふとんの中で寒さに耐え、

春の目覚めを待っている。

だから、ほんとうにわたしの言葉がきこえているかわからない。

が、カメノちゃん、とその名を呼び、

それから、きみは世界一かわいいよと歌う、

少し大げさに、でもほんとうの気持ちをこめながら歌い上げる。

カメノ、おまえは世界一、カメノ、おまえは器量好し。

そのとき歌と重なり合うようにして、

茂みのなかから、

小鳥がとうめいな声でひかえめに、

きいているよ、きいているよ、とわたしに呼びかける。

やがて、しずけさが訪れる。

歌もおわり、小鳥の声も止んでしまう、

じゃあね、とカメにいって、その場を離れていったわたしは、

その時にはまだ気づかなかった、小さな奇跡に幸運にもあずかったのだとは。