白銀の世界へ

2023年12月02日

もう、終わりかもしれない。

忘れてと彼はいう。

できない、忘れることなどできるものか。

彼と別れてビジネスホテルの窓から

夜景を見おろす。

新幹線の切符は明後日にしてある。

明日は、思いっきり楽しもう。

折しもケーブルカーが冬季休業に入るまえの

さいごの日だ。

朝食をとりカメラを持って出かける。

地方電鉄に揺られながら

一時間。

その途中、トンネルをくぐり、

またトンネルを抜け、

だんだん家々はまばらになり森のなかへと入ってゆく。

終点で降りると、

客はわたしひとりだった。

ケーブルカーの待ち時間にお土産を買う。

ガラス越しに外を見ると白い頂。

このあたりはまだ雪が積もっていないがきっと、

ケーブルカーの終点のあたりは見事な雪景色に違いないだろう。

それを、見にきたのだ。

斜めに傾いた赤い車体に乗りこみ

いちばん前の席に進行方向を向いて座る。

運転手さんがやってくる。

しんしんとした空気が早くも感じられてわくわくする。

まもなく発車のベルが鳴りゆっくりと車体が上方へと重たげに移動する。

さっき来た地方電鉄のレールが下のほうに見える。

ケーブルカーはトンネルに入り

抜けたときには

森のなか。

クマザサが下に生えて

幹はケーブルカーのように上方へと枝を伸ばし

こずえの先には雪をかぶった山々の連なり。

また、トンネルに入り抜けた時には、もう終点だった。

降りて外をガラス越しに眺めると

雪化粧をした木々が。

そのうつくしさを目の当たりにして、

興奮をおさえきれない。

これから先、わたしの半ばにさしかかった人生も

何度もトンネルをくぐってトンネルを抜け

闇もあれば光もあるだろう。

たとえその先にあのひとが待っていなくても、こうして長い人生のなかで

すれちがえるだけで

大丈夫。

わたしはためらわない。

あのひとのようなひとはほかにいるはずもない、いまは待とう、

彼の気持ちと立場が落ち着くのを。

大丈夫、独り時間の過ごし方だって多少は心得た、

彼の街だけじゃなくて

これからは好きな場所へ旅行に行けるし、

立場を束縛されることもない。

自宅で窓辺の観葉植物を眺めたり音楽を聴いたりして過ごして、

負担にならない程度に彼にメッセージを送ろう。

料理や家事もするけれど、それはいささかてきとうにすることにして、

ライフワークである創作や写真に打ちこもう。

もしかしたら、

彼とだってまた会える日が来るかもしれないじゃないか。

そうしてつづいていく日々を全力で歩みきって、

わたしは人生の終着点に着いたそのとき白銀の世界に立ちそこに見るだろう、

あのひとのすがたと

わたしのほんとうに心の通った親愛なる者たちのすがたを。