瞬間

2022年03月07日

わたしは、写真を撮ることは

被写体とのコミュニケーションだと思っている。

光をとらえ、空気をつかみとり、

被写体は変わらずにそこにあるものかもしれないけれど、

出会ったときの気持ちや気分、そのときの天候、光のあたり具合、

そういった一瞬をつなぎとめること。

いや、被写体にしても、時の流れのなかで残酷にも

形が失われたり、移ろっていったりするものであるから、

つなぎとめられた一瞬はほんとうに、かけがえがないものだ。

とくに花の写真。

もちろん造花もきれいには違いないが、

生きて枯れてしまう限りある命の花のほうが

ずっと綺麗にきまっている。

だから、わたしは花の写真を撮るのが好きだ。

短い命を惜しむごとく、

画像に花の生きた証を刻むこと。

境内にあふれる目の前の梅の木たちは、いまを盛りと花を咲かせている。

春のはじめ、季節のめぐみを受けて、

陽ざし浴びて無垢なすがた、青空に映え。

あるいは植えこみに混じってたった一輪咲く地面に埋もれた紅梅。

本堂の山門のわきに

ならんで咲きそろう色とりどりの梅たち。

同じ白梅でも、微妙に品種が違うようであることに気づく、

澄みわたった晴れやかなものもあれば、

少しこっつりとして味のある愛らしい白梅もある。

出会えて良かった、ありがとう。

お腹いっぱいになるまで撮るとカメラをしまい歩き出す、神社をあとにして、

そのわきの公園の子どもたちに別れを告げて。

しずかな住宅街、向こうからやってくるしずかな人影がある。

杖をつきながら品のいい格好をした初老の男のひとが、だんだんこちらに近づいてきた。

かなり遠くからすがたを見とめ、

わたしは歩いていき、向こうは近づき、だんだんすがたがはっきりとしてくる。

マスクのため顔立ちはしかとわからない。

しずかに、わたしたちはすれちがう。

近づいてきて、その男のひとのすがたがちょうど良い大きさになったとき、

ちょっと会釈したのだが伝わったかどうか。

変わりない、

被写体との出会い、ひととの出会い。

かけがえのない瞬間を生きる。