矛盾をはらんだ命題

2022年12月21日

わがままを言わせてもらえば、

孤独なひとに

みずから死を選んだりしてほしくないと思う。

神社にお参りに行こうと思う、

庭のカメが春ぶじに冬眠から覚めてくれるようにと。

夕食のモツ煮込みができあがり

支度をして出かける。

途中、優美な大型犬をつれた男の人とすれちがう。

駅のほうへいって

自転車整理のおじさんが二人、休憩して話しこんでいた。

西のほうの空が焼けるように朱い。

神社の参道をくぐると

長いこと何かをお祈りしている後ろ姿が本堂のまえにあった。

わたしは邪魔をしないように

歩みをゆるめる。

祈りおわったそのひとは本堂のちょっと脇でコインを入れて紙片をひろった。

思わず、話しかけた、

おみくじ、引かれたんですか?

そのひとが

小さな紙片を手にこたえる、

めずらしいですよね、お正月でもないのにおみくじなんて、と。

五十円らしいですよ、という。けれど、

おみくじを一緒に引きたい気はしたのだったけれど、

そのとき、わたしはお賽銭として百円玉を一枚ポケットにしのばせているきりだった。

わたしはそのひとに聞いてみたい気がした、

大吉でしたか、小吉でしたか、

待ち人来たるって書いてありましたか、

と、こんなことを聞くのもいかにも失礼なので、わたしもまた、

お賽銭を入れてお祈りする。

春になってカメがぶじに冬眠から目を覚ましますように。

さ、これでいい。

家路をたどりながら、道々いま読んでいる論理学の入門書について考える、

生きるということは矛盾をはらんだ命題なのではないだろうか。

だって苦痛から逃れようとするのが本能なのに、

ときに苦痛にあらがって生きようとするのは何故か。

わたしは思う、

耐えがたい人生を少しだけマシにするような、そんなものを差し出せたら。

大それたことを言わせてもらえば、

苦難のなかにあるひとにも届くようなそんな言葉をこれからも探していきたいような気がする。

道ばたで遊んでいる女の子たちとすれちがった、

こんにちは、というと向こうも挨拶を返してくれた、

健やかに育てばいい。