祈り
きんもくせいの蕾から
甘い香りがする。
カメもじきに冬眠に入るだろう、
わたしは父にクルマに乗せてもらって
いつも通院している病院へ。
今日は、入院中の母のお見舞いは一日お休みだ。
父と何気ない会話を交わし街を走る。
たどり着き、駐車場所に困った。
いつも停めている駐車場もそこから少し行った駐車場も満車だ。
病院にほど近い駐車場に一台ぶんのスペースがあったのを思い出し、
そこに駐車する。
いつものカフェに歩いていき、
お昼ごはんともスイーツともつかないものをわたしは注文し、父はコーヒー一杯。
一階の座席が空いていた。
ふたりのお気に入りの本の話なんかをして
わたしは席を立ち病院へいく。
行きがけに神社に寄る。
鳥居をくぐりながらわたしは思う、
きのうはお宮さんに母が良くなりますようにとお願いした。
きょうは何を祈ろう。
神社のわきに烏骨鶏というたいへん珍しい鶏がいる。
ぱっぱっと後足で砂を掻いて、
その砂を食んだりする。
それは普通のことで、鶏は砂を食べるものでそれが消化を助けるという。
お尻を向けていたかと思うと愛らしいふわふわの頭とつぶらな瞳をこちらに向けて、
しばらく向きあっていたと思うと
こんどはエサ箱のなかのエサを食べたりする。
ねえ、なにお祈りしようか、烏骨鶏さん。
話しかけるが答えはない。
わたしは石段をのぼり、お辞儀をしつつお賽銭の百円玉を投じると、
手を合わせ
烏骨鶏が長生きするようにと、祈り、
それから、父が、母が、愛しいものたちが長生きするように、という祈りがあふれてきた。
有難う、烏骨鶏さん。
お辞儀をして神社を後にする。
病院で母が入院したことを告げ、父との折り合いはまずまずだけれど、
じかに電話とかで話せる友だちができたことが
すごく大きいのだと先生に報告をする。
母が入院しているこんな時に
不謹慎だと言われればそれまでだけれど、ときどき、
わたしはじぶんをすごく恵まれているように感じてそれは錯覚などではない。
ときどきわたしは周りを困らせる。
悪意ではないが困らせる。
そんなとき、じぶんはいないほうがいいとすら感じる。
でも、わたしをひつようとしてくれるひとが確かにここにいて、
わたしがひつようとするひとも確かにここにいる。
それいじょうに望むことが、どこにあるというのだろう。
帰り道、きょうの夕食はレトルトカレーに、
冷蔵庫にあるトマトときゅうりにオリーブオイルとタイムで味つけしたサラダをつくろう、
そしてひとりぶんの洗濯も済ませてしまおうと思う。