秋の虫

2022年08月19日

箸を折る、買ってきた丼に口をつける。

なんて旨いんだろう、

昨日の残りものである筍のスープも美味しい。

丼を買いに行ったときはまだ暑かったが、

日が暮れてしまった後は

こうして涼風さえ吹いてくる。

どんぶり屋さんには、わたしともうひとりお客がいて、

わたしが先に決まったので注文した。

ここのところ病みつきになっている品であるとろサーモン丼に

いくらをトッピングして。

できるあいだ待つ、

後ろの男の人がカウンターの前に出てオーダーを伝える。

しばしいっしょに待つ。

やがて、わたしのどんぶりができあがったので、

それを受けとり、お先に失礼します、といってその小ぶりだが感じの良い店を去る。

とろサーモンはあぶらが乗っていて口のなかでとろけるようだ。

いくらとの相性もばっちり。

あの男の人も今ごろ箸を折っている頃だろうか。

食べおわり、満腹になってやっと気づく、

秋の虫が鳴いている。

しばし聴き入り食後のお茶を時間をすごくかけて飲む。

沁み入るようなか細い音色が聞こえたかと思うと、

小さな小さな鐘を叩くような

澄みわたった音色がそれに重なって響く。

空になったどんぶりは片付けられないまま机にうえに投げ出されている。

そうだ、冷凍みかんを食後に。

ひんやりとした甘い味。

上品な粒。

人生のはじめの時期にはわたしには甘い味がわからなかった、

貪っても満たされないことを繰り返し、

いまやっと余裕ができて楽しみなんかを味わったりもするようになった、たとえば、

この、とろサーモン丼の味とか冷凍みかんの甘さとか。

北側の網戸の向こう、

草むらで秋の虫が鳴きつづけている。

いつまで鳴いているのだろう、明け方まで鳴き通すのだろうか。

それをしかと確かめることはできない。

目の前に照らし出して確かめることはできないけれども、

大切なものってある、ひとの愛情だとか。

下心とかそういった闇のあいだに、ほのかに聞こえてくる音色。

虫のすがたを庭に出て確かめようとしても無駄なこと、

大きな足音がすれば、いや、たとえ足音をひそませても、大きな生き物の気配を感じれば

鳴くのをやめてしまうだろう。

そういったひそやかな。

明かりで照らして確かなすがたを求めようとしてもだめ、

不確かで儚いかそけき声が庭に満ち溢れている

この幸せを感じていること、そして、

食卓を片付けおわって、二階に上がっていくときはそっと余韻を抱きしめることにしようじゃないか。