秋雨とお茶会

2023年09月08日

季節がうつろう。

夕方など、網戸にしておくと涼風が入り闇の向こうから、

儚げだがうつくしい虫の音がきこえてくる。

今朝はどしゃ降りだった。

なんとなくそうしたい気分だったので、

雨のなか、枝をつたう雫の写真を撮りに外に出た。

昼近くになって

雨は止んだようだった。

いまのうちにと亀の世話をすることにする。

庭には

ちらちらした眩しいキンミズヒキが咲いている。

ホースのところに絡まるように咲いていて可哀想におもい、一輪つんで

渋い花瓶に生けた。

きのう買ってきたお茶菓子があったので母をさそって

お茶会にすることにした。

いつものように、

母親にはスズメが稲穂のそばに群れているお茶碗で、

わたしにはシジュウカラが野葡萄のつたに止まっているお茶碗。

お菓子は秋らしく桔梗をかたどった上生菓子。

桔梗って、秋の七草だけど、

ほんとは夏に咲くんだよねなどといいながら。

それからお抹茶の話になった、九月に輪島にいったときに

お抹茶を甘くして冷やしたのが出されてそれがとっても美味しかったとわたしが言えば、

母も初めてお抹茶を飲んだときのことなどを話す。

星のような桔梗のかたちを和菓子切りでひと口大にして口にはこぶ。

お抹茶をひとくち。

我が家では同時にいただく、そのほうが美味しいから。

綺麗なお菓子、日本にしかないわね、

と母がいうので、

そういう発言はやめてくれとわたしは言わなければならない。

フランスのお菓子だって味もだけれど、すっごく見た目にも凝るではないか。

それからキンミズヒキに目をやる。

花は野の花のように、わたしが好きなことばだ。

まるで野に咲いているように天衣無縫に生けるということ。

あるがままを愛するということ。

そのひとが持っているものや、成し遂げた仕事ももちろん大事ではあるけれども、

そのひとがそのひとであることで愛すること。

もちろん、相性ってものがあるから、そんなふうに愛せる相手の数はけっして多くない。

だけど、そんなつながりを大事にしていきたいとおもう。

わたしが元気がないとき、

言葉をかけてくれた、インターネット上のじっさいには会ったことのない友人たち。

ごめんね、素直になれなくて。

もうじき元気になるから。

秋雨が木々を濡らすように慈悲をくれた。

それは沁みわたり徐々に深いところへと届いていくかのようだ。