迎春
ちょうど初春を迎えるころ
花をつけるよう
しかるべく管理されたぼたんの花が
植えられてその苑で訪れる者たちを待っている。
元旦に見にいこうとおもっていたのに
今日になってしまった。
駅をおりると、ぼたん苑に向かって歩き出す。
病みあがりのせいでちょっと足もとはふらついている。
途中、神社がある、
朱の鳥居が重ねられて無数に階下へとつづいている。
わたしは鳥居をくぐってその先へと。
本堂があった、
狛犬のかわりにお狐さまが鎮座している。
稲荷神社らしかった、
ほんとうは願いごとはいっぱいあったはずなのに、出てこなくて、
こんどの旅行が楽しいものになりますようにと、ごくありきたりな願いごとになってしまった。
無数の鳥居をくぐり元の場所に出ると
こんどは左手にすすむ。
まもなく五十塔が見えてきた、
石灯籠の立ち並ぶあたりを過ぎると、目立たないところに入口がある。
入場料はやや高めだが払う価値はじゅうぶんにある。
入り口をくぐると、まず、梅の花とともに生けられたぼたんの花が出迎えてくれ
奥へと通路がつづいている。
通路の両脇には百花絢爛たる地植えにされたぼたんの花たち。
そのぼたんたちを一株ごとに蓑囲いがおおっている、
寒さや雪をしのぐためだろう、
そのわらでできた質素な蓑囲いに守られてぼたんは
せいいっぱい、けんめいに大輪の花を咲かす。
色とりどりのぼたんが行く手にあらわれてはつぎの花があらわれ
ふくよかな花びらは冨貴の象徴とでもいうかのように
その豊かさにあふれた愛らしさでもって微笑むがごとく観る者を魅了する。
通路をたどっていくと、ぼたんだけでなくつぎつぎに趣向をこらした庭園が目を楽しませてくれる。
水仙が水たまりのふちに咲いていたり、縁起物の千両が赤と黄の実をつけるの茂みがあったり。
向こうに五十塔が見える。
広々としたスペースに六株ならんで咲くすがたがお披露目されると
出口も近い。
ずっと、ぼたんをふたたび観にくることは念願だった、
やっと春が来たのだという気がした。
夫に先立たれ、今は両親と暮らしているけれど、
この先どうなるかわからない。
不安定ななかでも、ぼたんの花はあでやかなそのすがたでこころを照らしてくれ、
独り者のわたしにも春が来たのだという実感がやってきた。